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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [4]




「ミシュアルが、現ラテフィル国王の皇子である事は、ご存知よね?」
「はい」
「今ラテフィルは、その王位の継承で揺れているの。本来なら第一皇子であるミシュアルが継ぐのが正統。でも、彼には妻もいなければ子供もいない。それどころか、ルクマという私生児が存在する」
「妻や子供がいないと、ダメなんですか?」
「ダメというワケではないけれど、こちらの世界では何かと不都合ね。なにせ、妻は四人まで持ってもよいとされているくらいだから」
 四人まで許されているのに、一人もいない。それは暗に、男として、()いては人間としての魅力に欠ける。それは、人望に欠けるといった発想に繋がる。
 人望の欠ける人間に、国を支える力などあるのか?
「それに加えて、ルクマの存在を隠してきた事が、裏目にも出ている」
「え? 存在を、隠してきた?」
 ギョッとするような言葉。存在を隠すという事は、居るはずの存在を居ないかのように振舞うという行為。
 身構える相手に、メリエムは少し視線を落とす。
「ハツコをラテフィルへ迎えた時にはルクマの存在も公にしようと思っていたの。でないと、二人の存在を危うくしてしまうかもしれないし」
「それって、どういう?」
「ミシュアルとハツコの仲を善くは思わない人も多い。ラテフィルは小国で、古来からの伝統を重視する閉鎖的な考え方も根深い。どこにあるのかもわからない東の国の人間など信用もできないし、ましてやそんな国の女を王族に迎えるなど、承知できるはずもないと憤然する人もいる。そんな人々にとっては、ハツコ一人に(こだわ)るミシュアルの態度なんて理解できない。そんな人間に王位を継承させるくらいなら、第二皇子ではあってもアラブ人の妻を三人も娶っている弟の方が国王には相応しい」
「はぁ」
「他の国の人々にとっては不可解極まりない話なのでしょうけれども、こちらの世界の人間にとってはとても重大な事なのよ」
「で、それと瑠駆真とがどういう関係なんですか?」
「弟の方に王位を継がせようとする人間が、ルクマやハツコの存在をネタに、ミシュアルに王位の継承の辞退を求める可能性がある。具体的には誘拐、とか」
「ゆ、誘拐?」
 なんて物騒な。思わず声をあげ、慌てて両手で口を押さえる。店員が一人、視線を向けてはきたが、後は気付いてはいないようだ。
「それって、犯罪」
「犯罪よ。でも、珍しい事ではない」
「えぇ? よくある事なんですか?」
「あっては困る事だけどね。まぁ、今の王は諸部族からの信頼も厚いからそれほど頻発はしていないけれど、でも油断はできない」
 唐渓に編入する際に素性を隠した理由の一つもそれだ。
「諸部族間の争いがまったく無いというワケではないし。宗教的対立もあるし。あ、でも誤解しないで。国の治安は比較的良いほうだと思うの」
 誘拐が頻発してるのに?
「強盗だとか殺人だとか、そういった犯罪はむしろ少ないほうだと思うわ。この辺りの情勢については、なんだか日本では、日常的に人の命が奪われているように報道されているみたいだけれど。ただ、部族間の結束があまりにも強い部分があるから、そういう考え方に慣れていない人にとっては、すごく排他的に見えるのかもしれないわね。宗教を固く信仰している人も多いから、すごくストイックで視野の狭い考え方をしている人間ばかりの国だとも思われがちかも」
「でも、部族間の対立とか、宗教とか考え方の違いというものはやっぱりあるんですよね。初子さんの存在を認めないっていうくらいなんだから、やっぱり排他的だとは思います。部族間の結束って、そんなに強いんですか?」
「強いはね。強いと言って間違いないと思うわ。その部族が古来から守ってきた伝統も大切にされている。ラテフィルは、海に面した街もあるけれど、内陸では遊牧で生活する部族もいる。それこそ国境なんてお構いなしで、パスポート無しで移動している人々も多い。正式な国民数なんてわからないとも言える。四方を海に囲まれている国では、想像もできないかもしれないけれど」
 陸地に国境を持たない日本では、あり得ない現象。でも、それでも不法入国してくる外国人の存在はあるのだから、陸繋がりで接していれば、無断で行き来する輩など、いて当然なのかもしれない。
「そんな彼らにとって一番重要なのは、自分たちの今の生活を恒久的に保つ事。大切なのは国ではなくて部族であって、国際的な競争力でもない。だから、世界的にどう見られようとも、自分たちが伝統的に守ってきた生活習慣や価値観が守られなければ、信用はできない。自分たちと同じ生活習慣を持つ女性を妻にはせず、ワケのわからない海の向こうの女性一人を大切に思うミシュアルの態度は、彼らには理解できない。理解できない人間は信用できない。信用できない人間とは共存できない」
 だから、排除すべし。
「過激ですね」
「すべての人間がそうだとは限らない。ハツコの存在に理解を示している人間もいる。だけど、不信を抱いている者もいた。だからミシュアルは、国内での信頼を磐石にしてからでないと、ハツコとルクマを迎える事はできないと感じていたの。だからそれまでは離れて暮らすのは仕方がないと言っていた。ハツコも、それには理解を示してくれた。いつか二人が一緒に暮らせる日がくるだろうと信じて、二人とも頑張っていた。それなのに」
 初子は他界してしまった。
「こんな事って、ある?」
 メリエムは、泣いてはいなかった。哀愁を漂わせたり同情しているようにも見えない。ただ大きく目を見開き、机の上を凝視している。
「あんまりだと思わない。ミシュアルが可哀相。ハツコも」
 美鶴は、何を言っていいのかわからず黙って俯いた。沈黙が流れた。メリエムは、凍ってしまったのではないかと疑いたくなるほど無表情で、しばらく一点を見つめ、やがて瞬いた。
「ハツコが亡くなってしまって、でもミシュアルは気丈だったわ。ルクマが居る。彼を一人にはしてはおけないって。ハツコには、タカチホというところに親類が居るようだけれど、それほど親しくはないようだったし、だからミシュアルは引き取る事にした」
「でも、そんな事をしたら、ミシュアルさんの立場が悪くなるんじゃ」
「えぇ、だからミシュアルは決めたの。王位は継がないって」
「え?」
「継承を辞退したのよ。王位は弟に譲るって。そうすればルクマに危険が及ぶ事はないと考えたのね」
 メリエムは、見た目にはすっかり冷静を取り戻しており、ミルクティーを美味しそうに飲んでいる。







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